最後となる第3回では、有森さんが陸上を通じて経験されたこと、学んだことを今どのように活かしていらっしゃるのか、現在のスポーツへの関わりについてお伺いしました。
― スポーツをやってきてよかったと感じる瞬間はいつですか?
有森 1996年のアトランタオリンピックの後、人に誘われてカンボジアの子どもの自立支援と地雷の撲滅をテーマにしたチャリティハーフマラソンに参加しました。アンコールワット遺跡の周辺を走るハーフマラソンで、第一回目の参加者は600名程度、ほとんどが日本人で現地の人たちはマラソンを見るのも初めてというのんびりした雰囲気でした。
翌年の2回目の開催時は、ポルポト派はほぼ消滅していたものの、政権内闘争が深刻で再び内戦が起こりそうな非常に危ない状態。しかし、主催者の「こういう時だからやるんだ」という意気込みと熱意に押されて私は参加したんです。
なんと対立するウンフォト第一首相とフンセン第二首相を大会に呼んで、一触即発、何が起こるかわからない状態で、マラソン大会がスタートしました。暴動が起きた時のために兵士が銃を持って警備につくなど、非常に物々しい雰囲気でした。
― そんな危ない時期に、よく参加されましたね。
有森 私は自分が持っているものを最大限に活かしたいタイプで「私にもできることがある」と感じてしまったんですね。
1回目は、私が走っているとトゥクトゥクが近寄ってきて「疲れるから乗りなよ」と言われるような大会で、遠巻きに見ている人も多かったんです。でも2回目は渦中の二人が来るというので、観客も増えてテレビ中継もあって、ものすごい盛り上がりでした。
何より子どもたちが、前年に支援物資として配ったTシャツなどのグッズをすべて身につけて、目をキラキラさせて集まっていて。彼らの目力の強さや生きることへの執念が伝わってきました。
結局暴動も起こらず、第一・第二首相も300mだけですが一緒に走って、国内外にカンボジアの平和をアピールする記念すべき大会になったようです。たった一つの小さなマラソン大会が、その国の平和の象徴になって世界に発信された。その瞬間に立ち会うことができ、メダルを獲った時よりも「スポーツをやってきてよかった」と心底思いました(笑)。
命懸けでしたが、ここで走らなければスポーツにそんな力があるということも、実感できませんでしたから。
―この大会は今でも続いているんですよね。
有森 はい。私もオーガナイザーとして関わっていましたが、2016年からはカンボジアサイドに移譲しました。今では100カ国近くの国や地域から一万人以上もの参加者が集まる大会にまで成長しています。
カンボジアではポルポト派による大虐殺で、有識者、教育者の多くが亡くなってしまい、人材育成が長らく不足しています。私たちは体育教育教材の作成や4年制の体育大学の設立など、一歩ずつですがカンボジアの教育環境整備に携わっています。
―教育から社会貢献まで、有森さんの活動の幅の広さに驚きます。
有森 そんな構えた話ではなく、ただ本気で頑張っている人を応援したいだけ。スポーツでなくても、とにかく何かを成し遂げたいと思っている人のエネルギーを途切れないようにしたい、それだけです。
例えば子どものスポーツでも、親や指導者ができるのは応援したり、背中を押してあげることくらいですよね。逆に言えば、最終的にやる・やらないの決断は本人が下すべきだと思っています。
なぜかというと、人に決められて取り組んだものは、うまく行かなかった時やくじけそうになった時に人のせいにしたくなってしまうから。そんな思いは子どもにさせてはいけないと思うんです。
― 有森さんの好きな言葉「すべてを力に」について、少し教えていただけますか。
有森 バルセロナ・オリンピックは、湾岸戦争を一時停戦して、各国からさまざまな状況を抱えながらも選手が集まって開かれた大会でした。私を含め、出場した選手が皆、スポーツができる喜び、この場に立てる喜びを噛み締めていました。私は「喜び」が力に変えられると実感し、「喜びを力に」という言葉を使っていたんです。
しかし関西で講演活動をした時に、聴講してくださった中小企業の社長さんから「喜びがないと力に変えられないなぁ」と言われて…。よく考えたら、日常生活ではもちろん喜びもあるけれど、もしかしたらそれ以上に嫌なことや苦しいこと、悲しいと感じることもたくさんあるなと。自分の言葉が足りなかったと思い、「すべてを力に」という言葉に変えました。
もちろん完璧にすべてを力に変えて生きて行けるとは思っていませんが、そう願って日々を過ごし、思いの割合を増やすだけで、ネガティブな要素を防げるものも生み出せるものもあると思って、この言葉を使い続けています。
― 最後に有森さんにとってスポーツとは?
有森 生きる力を促す、生きる力を育む最大の手段です。
― ありがとうございました。