小さな一歩から始まる成功―有森裕子さんの旅

2023.07.04

バルセロナオリンピックで銀メダル、アトランタオリンピックで銅メダルと日本人初の2大会連続メダル獲得を成し遂げた元女子マラソン選手・有森裕子さん。
現在は日本陸上競技連盟副会長ややスペシャルオリンピックス日本 ユニファイドスポーツアンバサダーなど、幅広い活動に携わっておられます。
リーフラススポーツスクールアドバイザーである有森さんに、幼少期から現役時代までを振り返ってお話いただきました。

― 幼い頃はどんなお子さんでしたか?

有森 私は両足とも股関節脱臼で生まれて、長らく矯正バンドをしていたこともあり、歩き始めも少し時間がかかる子どもだったようです。そのせいかO脚気味だったり、転びやすかったり、怪我は多かったと聞いています。
自信もなく夢中になれるものもなかった私を心配して、小学5年生のときに親が陸上クラブを勧めてくれました。その先生との出会いが大きな転機になりましたね。

― どんな先生だったのでしょう?

有森 子どもの感情を読み取るのが上手な先生でした。陸上競技を通しての情操教育、つまり子どもに自信をつけさせ、感情や情緒を育てて自由に自己表現する力をつけさせようとしていたと思います。いつも後ろの方にいて、自信なさげにしていた私によく声をかけてくださいました。

― 中学ではバスケットボール部に入部されたとか。

有森 中学校の陸上部は、校庭の隅の方で活動しているような、していないような…という雰囲気だったので、バスケットボール部に入りました。しかしドリブルやパスなどの単純な動きはいいんですが、フォーメーションを組んだりするのが全然ダメで…相手チームから声をかけられてもパスをするような選手でした。
そんな時、体育祭で不人気競技だった800mに3年連続して出場し、3年間学年優勝したんです。自分で努力して、その結果が自分に返ってくる個人競技が向いていると気づいた瞬間でした。

― 高校ではいよいよ陸上部に入ったんですね。

有森 はい。しかし中学から大学までの一貫校で、優秀な選手がたくさんいたので、無名選手の私は最初入部を断られ…粘って入部させてもらったのは1ヶ月後。実は高校、大学、実業団と、私は全て「押しかけ」で入っています(笑)。
高校3年間も特に目覚ましい結果は出さず、国体にもインターハイにも行っていない、「全国都道府県対抗女子駅伝競走大会」も3年間補欠でした。それでも顧問の先生から少々強引に推していただき、日本体育大学の陸上部に進学。意外に思われるかもしれませんが、実業団に入るまで本当に誰も知らない無名の選手だったんです。

― 長らく結果を出せず、辞めようと思いませんでしたか。

有森 小学校の頃から自信がなくて、懸命に何かに取り組む経験がなかったので、夢中で打ち込むものがあることが幸せでしたね。それにいいタイムや優秀な結果を出した経験がないので、比較対象がないこともよかったのかも。「あの時はできたのに」とか「なぜできないんだろう」と思ったことがなかったです。

でも大学1年の時、関東インカレの3000mで2位になり初ブレークを経験。やっぱりその後に、できていた自分と比べてしまうんですよね。ピークを思い出して、勝手に落ち込むようになりました。
大学3年の時、一時走るのをやめて、トライアスロンをやろうと思い立ったことがあります。理由は「まだ女子の第一人者がいない」という安直な動機。仕送りのお金を全て使って自転車を購入しましたが、盗まれてすぐ断念しました。やっぱり逃げで選んだものはダメだと、神様に言われたような気がしました。自分には陸上しかないと心を決めた出来事です。

― 当初は教師になろうとされていたとか。

有森 父も教員でしたし、小学校時代の陸上の先生のように「自信のない子に自信をつけさせてあげたい」と考えていました。でも母校へ教職で行った際、生徒に「体育の先生は勉強嫌いなんじゃろ?」と聞かれて…そうか、勉強もしないで先生になるのもよくないなと。

そんな時、練習をせずに記録会で3000mに出場し、優勝したんです。大学時代、監督不在で練習法やメニューが自己流だったので、もし実業団で専門に指導してもらったら、もっと伸びるかもと希望を持ちました。「走れる自分、走りたい自分」を自覚して、今しかできないことをやろうと実業団行きを決めました。

― 実業団(リクルート)にはどんな押しかけ入社をされたんでしょう?

有森 本来実業団は勧誘を受けるか、推薦してもらってしかるべき手順を踏んでからしか入れないのが常識です。でも私は当時、その常識を知らず、かえってよかった。
友人が神戸で開催されている高校のインターハイ会場から連絡をくれ、「実業団がたくさんいる」と教えてくれました。地元である岡山にいた私はすぐに向かい、リクルートの担当者に会いました。当時はリクルート事件が世を騒がせていて、人が集まりにくい事情もあったんでしょう。後日、当時リクルートの監督であった小出監督から「有森さんの顔は、会えばきっと思い出す」と電話をいただき、千葉の練習場へ会いに行きました。

でもね、思い出す訳がないんです。だって大学まで大した結果を出せず、実業団の監督なんて会ったこともない。でもその勘違いが高じて、小出監督にお会いでき、直接話すことができました。過去の戦歴を聞かれても、言えるような結果はなく、小出監督も困った様子で「大学で寮長をしていたなら、しっかりしているんだね」と苦笑いしていました。

― オリンピックで2度メダルを取っている人とは思えない話です。

有森 断りにくそうにしている監督に「自分には今しかない。走りたいし、走れると思っている」とだけ伝えました。監督は「うちには華々しい経歴の選手がたくさんいるが、本当に大切なのはこの先どうしたいという強い気持ち。結果を残せなかったのに続けてきた、その根拠のないやる気を形にしてみたい」と言われました。

結局2日後に人事部からお電話をもらい、平成元年にリクルートに入社、1年目は初マラソンでの日本記録、2年目で当時の日本記録を破り初めての世界大会「世界陸上競技選手権大会」に出場、3年目でバルセロナオリンピックで銀メダルという結果になりました。

― やはり小出監督の指導の賜物でしょうか。

有森 それはもう半端ではない練習メニューでしたから。ただ私はタイムが遅かったので、他の選手と同じ条件ではなく、「タイムは気にせず、回数だけはちゃんとこなせ」という指示でした。ここで学んだのは「遅くてもいい」「やることが大事」ということ。小出監督の指導で、諦めないことに拍車がかかった感じです。
幸せだったのは、比べる自分がいなかったこと。とにかく走れること、練習できることが幸せでした。

― 入社一年目で日本記録を出した後、今度は追いかけられる立場になりましたね。

有森 本来スポーツは自分との戦いなのに、他人を意識した時に生まれる感情が苦しかった…これは初めての経験でした。以前は走れるだけで幸せだったのに、チャレンジャーでなくなり、逃げるような気持ちが生まれて、わがままになりました。そういう時って集中できずに、余計なことを考えるから怪我をしがちなんです。

― その苦しさから、どう抜け出しましたか。

有森 例えば怪我をしたり、メンバーから外れたりすると「どうして」「何が悪かった」と考えますよね。それは考えるチャンスを与えられているのだと思います。
私の場合は不器用ですから、とにかく必死で考えてもがきました。苦しむのも必死、喜ぶのも必死。とにかく目の前のことを懸命に取り組んでいると、ふとヒントが降ってきたり、その姿を見た人が助けてくれることもある。だから、苦しいこと辛いことに出会った時は、器用にスイスイと乗り越えようとしなくても大丈夫だと思います。

― 有森さんが陸上、マラソンを生涯の仕事として決めた理由はありますか。

有森 実は私、手芸など手先を動かすモノづくりは大好きですが、陸上は「好き・嫌い」で考えたことはありません。なんて言うんでしょう…できるからやる、やりがいがあったから本気で取り組んだという感じでしょうか。
やってみたらタイムが上がり、結果が出た。単純明快で、わかりやすく自信につながったのが陸上でした。

ものづくりとマラソンが似ていると感じるのは、アートなど人の手で作られたものは唯一無二の一点もので、マラソンやスポーツも、その時、そのメンバー、その環境だからこそ生まれる一瞬のアートと同じです。現役時代はなぜ走ることがそんなに魅力的なのか考えたことはありませんでしたが、それが理由だったんです。

― 有森さんがマラソンを「好き」ではなかったということに驚いています。

有森 そうですか? ライフワークは好きで楽しいことが大事ですが、まずはライスワーク(生活するための仕事)がなくては生きられません。好きなものを仕事にしたら、私はきっと途中で苦しくなるタイプ。この線引きができずに苦しむアスリートは、意外と多いんです。

プロとして食べていくなら、努力できることや結果を出せることが必須です。でもそれが好きな分野かどうかはわからない。結果が出せないのであれば、そのスポーツを嫌いになる前に、区切りをつけることも必要になると思います。

― マラソンに助けられた、救われたという経験は?

有森 自分自身を活かす場であり、人から応援してもらえる分野だったので、マラソンには助けられたと思います。存在意義というか…走っている時は全身全霊で自分が「人間だ」と感じられました。

走る時に頼れるのは自分の体だけ。しかもマラソンとなると一人で何時間も走るので、否が応でも自分と向き合わざるを得ません。それによって自分の体に対する気づき、精神的な気づきがありました。

― スポーツをしていて心に響いた言葉などはありますか。

有森 小出監督から言われた「なんでと思うな、せっかくだと思え」という言葉。これは、物事が起こった時にすべて他責であることはあり得ない、必ず自分がコミットしている。だから「なんで」と人のせいにせず、「せっかく」と起こったことに意味を持たせる方が得だという考え方です。

小出監督には「苦しい顔はいいが、嫌々練習をするな」とも言われました。確かに嫌々やることって、本当に身につかないし周囲にも迷惑ですよね。だから練習は苦しくて辛かったですが、嫌になったことはありません。

―針の穴のような可能性を、手で押し広げながら進まれてきた印象です。

有森 小さくても穴はある訳ですから。それを「こんな小さい穴」と見るか、小さい穴でも「穴がある!」と可能性を感じるか、穴の存在に気づかず通り過ぎるかは、考え方次第なのだと思います。私自身器用ではないので、穴を広げるにも時間がかかるタイプですが、ずっとそのやり方を続けて来ました。

「マラソンで走っている間、何を考えているんですか?」とよく聞かれるんですが…基本的に大層なことは考えていません。まずはスタート地点に立てたことで、第一歩はクリア。出発して10kmくらいまで走ると、その日の体調や体の重さなどもわかってきます。そして30kmくらいから、自分がどんな練習をして、何をしなかったのかが顕著に出始めるんです。

その時考えるのは「しなかったこと」ではなく、「何をしたか」ということだけ。反省や振り返りは横に置いて、今現在の手持ちの札で何ができるか、プラスに働くことだけを考える。その発想ができるかできないか、アスリートの本番力には大きく影響すると思います。

第2回は、子どもとスポーツについて、そして保護者の関わり方などをお聞きします。

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