【インタビュー記事 第4弾】スポーツマンシップとは?子どもに伝える大切な心構え

2024.05.30

子どもに「スポーツマンシップを身につけてほしい」と考える大人は多いでしょう。大人でさえも言葉で説明することが難しいこの「スポーツマンシップ」を、子どもに伝え、実践できるようになるにはどうしたらいいのでしょうか。またスポーツ界の問題点についても語っていただきました。

― スポーツマンシップを子どもたちに教える、伝えていくうえで大切になるのはどんなことでしょうか。

中村 スポーツマンらしい振る舞い方やスポーツマンシップについて、「この場合はこうする」などと一つ一つ細かく教えて、大人の指示通りに動くようになるのでは意味がないと思います。子どもたちがスポーツマンシップを身につけるには、子ども自身がスポーツマンシップの原理原則を理解して、さまざまな条件や状況下でも自己判断で行動できるように導いていくことが大切です。
スポーツマンシップの心構えや振る舞い方は、一朝一夕に身に付くものではないですし、唯一無二の絶対解があるものでもないので、指導する方も一緒に考え、議論や意見交換をしながらともに成長していく必要があると思います。

― 子どもたちが「自分で考える」「自分で決める」ことが大切になるということですね。

中村 保護者の方やスポーツの指導者に聞くと「自分で考えられる子を育てたい」とよく言いますよね。でも「それにはどうしたらいいですか?」と聞いてくる大人も多いんです…そう質問してくる時点で、あなたが自分で考えること放棄していませんか?と思ってしまいます。「考えられる子」を育てたいのであれば、大人が自分の頭で考えている姿を見せないといけません。
古くからの伝統、慣習、常識、先入観などにとらわれて、「俺の言うとおりにプレーすれば勝たせてやる」「言うことを聞け」という姿勢で教えていたら、「自分で考える子」なんて育つはずがないんです。指導者や保護者が自分自身を疑って、悪しき姿を子どもに見せていないかを常に問い続ける必要があると思います。

― 伝える際のコツのようなものはあるのでしょうか。

中村 日本語における「敬語」文化が象徴的ですが、監督⇔選手、先輩⇔後輩、親⇔子のように上下の関係が強く、「尊敬」することに重きが置かれがちです。しかし対等な立場で「尊重」し合うとなると、なかなか難しい。
生徒や子ども、後輩や部下など「目下の立場の人」のほうから対等な関係を作ろうとすると反感を買うので、監督や指導者、親や先輩などの上下関係の「上」にあたる人物が、態度や考え方を改めて視線を合わせようとすることではじめて、「尊重」の関係が作りやすくなると思います。

― 伝える側の大人の意識を変える必要がありますね。

中村 チームや組織、家庭内の人間関係を「尊重」に変えるには、「自分が上だ」と意識のある人が自覚をすること、そしてその環境を変えられるかどうかにかかっています。
例えば僕は立教大学で学生たちと向き合っていますが、学生が僕に文句や不満を正直に言ってくれるかどうかが勝負で、「中村さんが怖くて言えない」となったら僕が完全に負けです。
こういう話をすると、「そんなことをしていたら子どもにナメられる」と言う指導者や先生がいるんですけど、実際、そんなふうにナメる子はいません。「この人は私たちの話を聞いてくれる」「耳を傾けてくれる」と思ったら、バカにしたりナメたりするはずがないんですよ。だから指導者や先生など、子どもの未来に関わる立場の人は、子どもと目線を合わせて、子どもの話を聞き出すことができるかをもっとよく考えた方がいいと思います。

― 指導者としての「自信」が邪魔をするかもしれません…。

中村 「自信があるから堂々と指導ができる」という側面と、「自分はまだまだ」「もっとよくなれる」という気持ちがあるから学び続けられるという側面と両方ありますよね。自信がないと行動しづらいのは確かですが、同時に自分に対する疑い、期待感もあるからこそ謙虚になり成長することができるのかもしれません。
この自信と謙虚さを行ったり来たりすること。「たかがスポーツ・されどスポーツ」と同じで二律背反するものの両立を図ることは、自分も苦しいし本当に難しいけれど大切なんです。

― これまで自分を疑わずにやってきた指導者たちの意識改革は簡単ではないでしょうね。

中村 漢字を見ても、「先生」だって「先に生まれた」というだけですよね。完璧な人間なんていないんですから、ダメな部分を晒してくれる人の方が、結果的に一目置かれることになると思います。それを隠してマウントを取って、恐怖政治で未来ある若き芽を支配しようとするのは愚の骨頂です。そういう考え方が結局ハラスメントのようなものにつながっていきますし、子どもたちがその大人の目を盗んで悪いことをする火種を作っているだけです。
上に立つ人が「自分もできていないことだけど、そちらのほうがカッコいいから、一緒に頑張ろうぜ」と言うしか、指導の方法はないと思うんですけどね。
そして選手自身も「勇気」を出して、「これはおかしい」と声を上げられるようになる。周囲も黙殺せずに、その声を拾い上げて、丁寧に議論することも大切だと思います。

― 運動系の部活や組織のハラスメントがなくならないのはなぜだと思いますか。

中村 自分が育ってきた環境で、教えてくれた人やお世話になった人がハラスメント体質だった場合、よいモデルケースがなくて、どう指導したらいいか分からないこともあるでしょう。これは多少同情の余地があると個人的には思います。
「何度言ってもわからないから手を出した」などと体罰をしている人が話しているのを聞くことがありますが、「わかるように伝えているか?」という自分への疑問には、なぜかつながらない。
まずはスポーツ界にいる人たちが、「問題が山積している」と自覚することが第一歩。問題を起こしている当の本人は気づいておらず、嫌な思いをさせているなんて夢にも思っていないケースがほとんどです。時代の違い、意識の違いを是正する必要があります。
「自分を強く偉く見せよう」とすることも、非常にエネルギーがいることです。教える側の人が殻を破れば、導く側も導かれる側もハッピーになるのになぁと常々思っています。

― スポーツマンシップを身につけたら、子どもたちが生きていくうえでの心強い「規範」にもなります。

中村 グッドゲームを作ろうとする心構えが「スポーツマンシップ」と定義していますが、このグッドゲームの「ゲーム」を「スチューデントライフ」「ソサエティ」「エコノミー」「ライフ」などと置き換えれば、自分の人生や仕事にもつながる概念になります。
「すばらしい学生生活にする」という心構えにすれば、先生や友達を尊重しながら、勇気を持って毎授業で発言してみようとか、大変なこともあるけど覚悟して愉しもうとか、それを意識するのとしないとでは全然違う未来が待っています。
スポーツマンシップは、スポーツ以外にも応用できる汎用性の高い考え方で、Jリーグ初代チェアマンの川淵三郎氏も「スポーツマンシップは生きるためのバイブルだ」と言っています。

― 子どもたちのモチベーションアップにも「スポーツマンシップ」が生かされるような気がします。

中村 僕がいつも話して笑われる「罰走」の話があるんですけど…子どもって公園に行くと、頼まれてもいないのに一斉に走り出すじゃないですか。学校でも「廊下は静かに歩きましょう」なんて言われて、基本的に子どもは走ってしまうことを考えると、僕たちは本能的に走るのが好きな動物のはずですよね。でもいつの間にか走ることが嫌いになるのは、絶対的な走力で成績評価されることに加えて、監督や先輩たちから「走れ!」と言われて、無理やり罰として与えられる「罰走」が理由じゃないかと思っているんです。
だから「テストで100点取ったの?じゃあ走っていいわよ」と、子ども時代からよいことをした「ご褒美」として走らせてあげたら、もしかしたら誰もが走ることに嫌悪感を持つことなく育っていき、結果的に日本のスポーツ界はもっと強くなるんじゃないかと思っているんです。いっそのこと、全国的に罰走を禁止して、ご褒美走だけにしたらどうでしょう。
この話をするとみんな笑うんですけど、「ご褒美走なんて成立しないでしょ!」という固定観念や思い込みを疑ってみることも必要です。何か一つ変えてみたら、抜本的な変化が起こるかもしれない。そんなことが、問題だらけのスポーツ界の変化のステップになるかもしれないですよね。

― スポーツを頑張っている子どもたち、そしてそれをサポートする保護者や指導する人たちに対してのメッセージをお願いします。

中村 スポーツを熱心にしていると、「脳筋(脳まで筋肉)」など頭を使わない代名詞のように言われることがあります。でも実際は、頭と体を同時に動かしながら、さまざまな二律背反を受け止めていかねばならないという非常に高度で難しいことをしているわけじゃないですか。しかも精神的にも人間的にも大きく成長できる構造になっているのがスポーツです。せっかくスポーツをしているのに、勝ち負けや技術の向上だけで終わらせたら、本当にもったいないと思います。
「尊重・勇気・覚悟」を持ち、スポーツマンシップの意義を理解して実践できたら、挨拶・礼儀、リーダーシップ、協調性、自己管理力、課題解決力などの非認知能力も身につきます。またそういうことを理解し、よき環境でスポーツに取り組んだ子どもたちが成長して指導者になれば、今のスポーツ界が抱える問題も解決に向かっていくはずです。
成長のヒントがたくさん詰まったスポーツを通じて、自ら考えて行動できる人になってほしいと思います。

一覧へ