【インタビュー記事第3弾】「たかがスポーツ、されどスポーツ」勝つこと以上に子どもにとって大切なもの

2024.04.26

第1回、第2回 のインタビューでスポーツとはなにか、スポーツマンシップとはどんな心構えかをお聞きしてきました。第3回 インタビューでは、この「スポーツマンシップ」の持つ2つの側面を掘り下げていきます。

― 中村さんは「たかがスポーツ、されどスポーツ」というふうに表現されることがありますね。

中村 スポーツが「真剣な遊び」であることは前回の記事でも説明しました。スポーツは素晴らしいものですが、結局のところ遊びであり、人生においてもっと大切なことは山ほどあります。
たとえば戦争が起こったり、新型コロナウイルス感染のような感染症が広まったりすればスポーツどころではなくなるように、スポーツができるのは平和な生活があってこそ。人間にとって一番大切なのは「命」であり、生きていることですよね。
「スポーツで負けたら人生が終わり」と感じているような人がいれば、「たかがスポーツだよ」と伝えてあげた方がいい。それよりも、勝利を目指して頑張ってきたプロセスにこそ本来の価値があるのだと思います。

― 一方、「されどスポーツ」ということでもある。

中村 大谷翔平選手や小平奈緒さんなど、すばらしいスポーツマンたちを見ているとスポーツの価値の高さを改めて感じさせられます。人を成長させ、人生で大切なことを身につけるヒントに溢れていています。
僕自身もスポーツが好きで、体育会系出身の友人も多いですが、声が大きい体育会系の人たちが群れると、スポーツ好きの人たちがものすごく大勢いるような雰囲気になる(笑)。でも僕の肌感覚からいくと、スポーツを本当に好きな人がせいぜい3割程度、オリンピックやワールドカップなどになると盛り上がる「にわかファン」と呼ばれるような人が2割程度いて、国民の残り約半分はスポーツが好きというわけでもなんじゃないかと感じます。
スポーツ好きの人や体育会系の人たちが集まると、「されどスポーツ」の話ばかりになりがちです。「スポーツの何がいいのか」という本質的な疑問はさておき、「やっぱり感動するよな」とか「とにかくスポーツはいいよ」というふわっとしたスポーツの魅力ばかり話して盛り上がっている。
スポーツが好きで愛しているなら、スポーツのよさをもっと言葉で、ロジカルに表現しないと伝わりません。そしてパワハラやセクハラなどをはじめとするさまざまな問題解決に真剣に取り組んで、誰もがスポーツを通して成長できるような環境を作らないと、スポーツの本当の愉しさは理解されないままだと思いますね。

― スポーツのすばらしさを説きながら、「たかがスポーツ」と言い続けるのも難しくはないですか。

中村 スポーツはそもそも「真剣な遊び」ですし、スポーツで負けても命を失うわけではありません。2023年夏の甲子園で優勝した慶應義塾高校の森林監督が選手たちに対し、「甲子園優勝を人生のピークにしないでほしい」と言っていましたが、そういう気持ちや向き合い方が大事だと思います。
子どもがスポーツに取り組んでいるときに、保護者の方が熱くなり過ぎたり、監督が試合で暴言を吐いたりすることがあるでしょう。プレーヤーが若ければ若いほど、「より愉しくスポーツができているかどうか」に注力すべきです。本来は大人の方が子どもをなだめる立場ですよね。大人が一歩引いて、「応援する喜び」にとどまることが大切ですし、指導者であれば「そのスポーツをもっともっと好きにさせられる」「スポーツを嫌いにさせないでいられる」ことこそが、優れたコーチの資質だといっていいかもしれません。

― スポーツに真剣に取り組めば取り組むほど、「負け」は辛いですよね。

中村 スポーツのよいところは、「必ず勝ち負けがつく」という点で、全力で「勝ち」を目指すけれど、もれなく「負け」もついてくる。本気で練習して勝ちにいくからこそ、負けた時の辛さは半端ではないわけです。この辛い敗北をどう受け止めるか、スポーツに取り組めば敗北するリスクを負うという構造に対していかに覚悟を決めるか。スポーツは、この難しい構造に向き合うからこそ深い学びがあり、人生に活用できるエッセンスに満ちているのだと思いますし、スポーツが教育や人材育成に最適なのはこういう部分です。
この学びを一人一人が自分の言葉で考え、伝えられるようになれば、「されどスポーツ」を言語化して語れるようになります。ふんわりと「スポーツっていいよね」ではなく、自分にとってのスポーツの価値を見出すことができるようになると思います。

― この「負けを受け止める」というところに、スポーツの難しさと醍醐味があるように感じます。

中村 プロの選手が「俺たちはプロだから勝たないと」と言うけれど、そのプロだってリーグ全体で見れば、必ず半分は負けていることを理解したほうがいいと思います。スポーツの「勝ち」にしか価値がないのであれば、半分の負けた人たちにはまったく価値がないことになります。でも実際にはそんなこともないですよね。
イチロー選手が「10対0で負けていてもファンを喜ばせるプレーはできる」と話されていましたが、勝ち以上の価値を見せるのが真のプロフェッショナルの仕事だと思います。スポーツを生業にするプロでさえ勝ち負けを超えたところに価値を見出すべきなのですから、アマチュアならもっとスポーツの愉しさに注目しないともったいないですよ。

― 素直に負けを認め勝者を称えられる「グッドルーザー」の考え方も少しずつ浸透してきています。

中村 真のスポーツマンかどうかは、負けた時、失敗した時、思い通りの結果が得られなかった時にこそ表れます。審判や誰かのせいにしたり、ものに当たってみたり、文句や泣き言を言って「負け」の責任から逃れたりしていては、グッドルーザー(よき敗者)にはなれません。
試合に負けた時に、悔しさをこらえて真摯に負けを受け入れ、相手を称えて次につなげられるグッドルーザーの振る舞いは、スポーツを通して学べる大きなことの一つです。
また勝ってもおごることなく、謙虚な気持ちを忘れない人や負けてしまった相手の気持ちを考えることができる人は、「グッドウィナー(よき勝者)」といえます。
ただし、「こうした振る舞いをしなさい」といったように、指導者が指示をして型にはめられた行動をとることがいいわけでもありません。原理原則を理解して、自らはどう振る舞うべきか、どう振る舞う自分でいたいのかを、自分なりに追求して表現することが大切ではないかと思います。

― 「たかがスポーツ・されどスポーツ」「グッドルーザーとグッドウィナー」など相反するものが共存する難しさがありますね。

中村 スポーツというと単純に体を動かすものと考えられがちですが、

・真剣に勝利を目指すが、「遊び」である。
・誰もが勝利を目指すが、必ず負ける者が存在する。
・負けて悔しくても相手を称えるべき。
・勝って嬉しくても謙虚にいるべき。

など、実は非常に難しくて複雑な取り組みです。「勝ちたい」という気持ちと、それに対する結果への対処。負けて悔しくても相手を尊重したり、勝っても喜ぶだけでなく敗者への心遣いをもったりするといった気持ちのコントロールがスポーツをするうえでは欠かせません。

オリンピックやワールドカップなどの世界大会はもちろん、子どものスポーツの応援でも心を揺さぶられて、試合に出てもいないのに涙が出てくることがあります。
普通の日常生活では大声を出したり、欲望を口にしたりすることは下品だと言われるのに、スポーツの試合なら「勝つぞー!」「よっしゃー!」なんて雄叫びを上げても許される。スポーツには感情を揺さぶられ、欲望や感情がむき出しになる場面が多いがゆえに、感情や情緒を豊かにするうえで役立つ側面があると思いますし、一方でその心情をコントロールできた時の成長は計り知れないという側面もあると感じます。ここにスポーツの教育的な有用性があり、教育ソフトとしてふさわしいとされてきた根拠があると思います。

最終インタビューの記事もお楽しみに!

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