第2回はJリーグ入団までの経緯と、日本代表としてオリンピックやW杯に出場していた頃のお話を伺います。
― Jリーグ入団はスムーズに決まったのでしょうか?
城 それも僕らしいプロセスがありました。当時、鹿児島実業高校からは横浜フリューゲルスへ多くのOBの方が進んでいて、太いラインがあったので、普通に行けばフリューゲルスに入団するはずだったんです。
でもその時すでにフリューゲルスには日本を代表するようなフォワードの選手が多く在籍していた…つまり入団しても自分が試合に出たり、活躍するのは難しい環境でした。
そこで選手名鑑を隅から隅まで読んだら、ジェフユナイテッド市原の当時のフォワードの新村選手が年間2得点って書いてあり…「2点なら自分も争える」と安易に考えたんですよね。実際は新村さんが怪我をして、試合に出場できていなかっただけだったんですけど(笑)。とにかく早く試合に出たい、試合に出て活躍したいという一心で、鹿児島実業の監督にジェフへ入団したいと伝えました。
― ジェフには自分からアピールされたのでしょうか?
城 監督からは「無理だ」と言われましたが、諦めずにつないでもらって、鹿児島から千葉に出向いてお願いしました。でもジェフ側も他の選手との契約がほとんど終わっている時期で、「もう予算を使い切って契約金も残っていない」と断られたんです。
それでもお願いして、フリューゲルスから提示された契約金の3分の1の金額で入団を決めました。
監督からは最後まで「もっとよく考えろ」と言われて、今考えると若気の至りですよね。しかし結局デビュー戦から4試合連続でゴールを決めることができ、キャリアの一歩目を勢いよく踏み出せました。
あの時の自分の直感は間違っていなかったと、今でも思います。人は選択をする場面で、条件とか流れとか周囲の声とか判断基準はいろいろありますけど、自分の「これだ」と思う直感には従った方がいいのかもしれません。
― そして日本代表にも選出されて、日本が初めて出場したW杯(フランス大会)にも出場されました。
城 国際大会に出て、世界の選手と一緒にプレーすると、テレビや映像で見る何倍もその強さやレベルの高さを思い知ります。
例えば体が当たった時の弾き飛ばされるようなフィジカルの強さ、踏み出す一歩のスピードと大きさ、ヘディングの高さ、すべてにおいて全然違う。それを体感すればするほど、「まだまだ自分はレベルが低い」と謙虚になって、「もっと頑張れる」とガッツが湧いてきました。
― 日本代表になっても「もっとうまくなりたい」と思うものなんですね。
城 僕は日本代表に選ばれた前も後も、小学生でサッカーを始めてからずーっと「うまくなりたい」と思い続けてきました。もっと上に、もっと前にという気持ちが今の自分を作っているんだと思います。
いつもはテレビでしか見られない、雑誌に載っているような有名な外国人選手と体でぶつかり合って、押さえ込んでくる力もものすごく強くて、とにかく圧倒される訳です。見ているだけでは分からない、この肌と肌で相手をダイレクトに感じられるのがサッカーの醍醐味なんですね。
そのとんでもない実力差をリアルに感じたからこそ、もっと練習しなくてはと思い続けることができた。世界を知ることが、サッカーというスポーツの面白さに改めて実感させてくれました。
― その後、スペインリーグにも挑戦されましたね。
城 フランス・ワールドカップの本戦では3戦全敗して、世界との力の差を思い知り、「もっとうまくなりたい」という気持ちがさらに強くなりました。そのためには海外でプレーするしかないと、スペインのバリャドリードへレンタル移籍をしたんです。年俸は下がりましたが、プレーでは評価もされて契約延長の話にもなったんですが…。
日本代表戦のために日本に戻った時にケガをして、スペインに帰る飛行機の気圧変化でパンパンに腫れ上がったので、チームドクターに診てもらったんです。その時に、「前十字靭帯が無い」と大騒ぎになりました。
― 前十字靭帯が無いって…普通は歩けませんよね。
城 随分前に切れていて、靭帯そのものが溶けてなくなっている状態でした。恐らく高校2年の時に膝に激痛が走って、1ヶ月くらい練習を休んだ時があるので、その時かなと。でも当時は病院にも行かず、なんとなく治ったような気になってサッカーを続けていました。
チームドクターであるスペインの医師は「手術が必要だ」という意見でしたが、フランスの有名な医師に診せたら、「プラティニという選手も前十字靭帯がなかったけど周囲の筋肉や靭帯がカバーしてプレーできていたから、君も同じだよ」と言われました。
スペイン国内でも論争になって、僕の膝の模型を出して解説する2時間の特別番組なんかが放送されたりして(笑)。結局そのケガが原因で契約更新にはならず、日本に帰国しました。
― ワールドカップ敗退やケガなど、様々な経験で一番挫折を感じたのはどんな時でしょうか。
城意外かもしれませんが、僕は大きい挫折を感じたことはありません。常に自分は下手だと思っていて、サッカーがうまい人を見て「すごいなー」と受け入れて、「どうしたらこうなれるのかな」と近づく方法を考えます。その人たちと比較しないので、ポキリと折れないのかな。小学生の頃からあまり変わってないんでしょうね。
「夢」も「大きな目標」も大切だとは思いますが、僕は非常に現実主義なので、到達できる目標設定にして確実にクリアしていきたいタイプ。
失敗しても挫折しても、まず「どう取り返すか」を考える。だってミスは誰にでもあって、死ぬ訳じゃないですから。失敗は失敗と素直に認めて、「どうしたらいいか」と考えていると、周囲が助けてくれることも多いですよね。失敗しても成功しても、去勢をはらずにフラットな気持ちでいることも大切だと思います。
― スポーツをしていて、心に響いた言葉はありますか。
城 鹿児島実業のサッカー部監督から、「勝負にこだわれ」「勝負師になれ」と言われた言葉は心に残っています。じゃんけんでも「勝ち」にこだわって、負けたら悔しがれ。部室に入るのも自分が一番に行け。そんな細かい部分から常に勝負勘をつけろと教わりました。
そもそも僕が平和主義で、「皆一緒に頑張ろう」というタイプだから奮い立たせようと思ったのかもしれません。
フォワードというポジション自体、かなりハードでレギュラー争いも激しいポジションです。全国から精鋭が集まったプロの世界で生き残るには、体力も精神力も必要で、結果を残さなければいけないと監督なりに心配してくれて、僕にかけてくれた言葉だったと今は思いますね。
― 仕事としてサッカーされてきて、城さんの思う「プロフェッショナル」とは何でしょうか。
城 プロは実力の世界ですから、結果を残して、その対価を手にする究極の世界です。すべてをサッカーに賭けて、それ以外は捨て去るくらいの覚悟がいる世界でした。
ケガをすれば試合に出られませんし、結果を残せなければ翌年の契約はありません。プロになってからも、「楽しむ気持ち」を持ち続けるのは大変、というか楽しめませんでしたね。決まった時間に会社に行って、決まったお給料が振り込まれるサラリーマンに憧れたくらいです。
だから子どもたちに「プロを目指せ」なんて簡単には言えない、というのが正直な気持ちです。
でも夢に向かって努力することには大賛成です。何かの「プロ」になるのは厳しいですが、自分の努力で何かをつかみ取る、そのために頑張ることは人生において大切な原動力になると思います。
第3回に続きます。
お楽しみに!